教育・研究理念

座右の銘

座右の銘モットー(Motto)とは、常に自分の心に置いて戒めや励ましとする言葉であり、その人が固く信じて守っている言葉、即ち、信条のことです。座右の銘は感銘を受けた他人の言葉を自分の信条とする場合にのみに用いるのに対し、モットーは自分の言葉でも他人の言葉でも構いません。これらは端的にその人の生き方を表す言葉として、大切にしたいものです。研究者として茨の道を歩む上で、心の支えとなるものと信じています。そういう意味では自分が真に信じるに値する宗教とも言えます。

 


The ancient writing style in the seal script was kindly gifted by Professor Chun-An FAN (Lanzhou University).

 「知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者。」
「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。」
"To like is better than to know. To enjoy is better than to like."

"One who knows is no match for one who likes. One who likes is no match for one who enjoys."

"They who know the truth are not equal to those who love it, and they who love it are not equal to those who delight in it."


「論語」雍也第六の二十より

【本日の座右の銘】2017年3月6日
 
大学時代の恩師からいただいた言葉、だそうです。投稿者“K.Ishihara Lab.”さんから頂きました。
 この格言の裏を返せば、「
苦手意識を持ったら負け。」という意味になる。どんなことでもおもしろいところもあれば嫌なところもある。おもしろいところに気づけば、苦手意識も克服できる。
 
そして、楽しいところに気づけばとことんがんばれる。
 
そう、本日の言葉を教えてくれました。

 
意に反する場面も、不条理に感じることもある。大人なのだからとガマンするより、どうしたら楽しめるか、そう思って行動する習慣を持つことが大切。

 
卒業の季節に贈る、本日の座右の銘でした。

「知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者。」と「好きこそ物の上手なれ」は同じ意味ではない。
 我が国にも知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者。」とよく似た意味の「好きこそ物の上手なれ」という言葉があります。しかし、この2つの言葉には決定的な違いがあります。孔子は「好きこそものの上手なれ」よりもさらに上を語っています。「之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。」です。この境地に達するかどうかは大きな違いです。「好きこそ物の上手なれ」は趣味のレベルであり、「之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。」はプロフェッショナルのレベルです。プロフェッショナルの域に達しようと頑張ろうとすると、挫折する人がほとんどです。趣味としてはいいけどって感じですね。プロフェッショナルの域に達するためには、その域で楽しめるかどうかが重要です。オリンピックでメダルを取る様なプロフェッショナルはみんな競技を楽しめていますよね。緊張やプレッシャーやストレスに打ち勝って楽しんでいます。その大きな違いに気づいて欲しいです。だからこそ、プロフェッショナルは楽しむことにこだわっているのです。強くなるために。自分に勝つために。

研究の流儀

 プロフェッショナルになればなるほど、その道や流儀に拘るものである。確固たる信念なくして開眼の境地に達することはないからである。
 研究とは何か。私(石原一彰)が拘る「研究の流儀」なるものを綴ってみた。まだ未熟ゆえ、完成したとは言えないが、常に自分に問いかけることは重要である。

私の「研究の流儀」
1.研究は知と創造の欲求である。
2.之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。
3.為せば成るではなく、為さねばならぬことを成せ。
4.セレンディピティを引き当てる研究をせよ。
5.真似されても、真似するな。
6.真似は学習であって、研究ではない。
7.真似で終わるな。必ず独創的研究に繋げよ。
8.論文目的の研究をするな。
9.事実は真実の敵なり。
10.常識は研究の壁なり。
11.失敗は未知への挑戦の証であり、次に繋がる一歩と心得よ。
12.研究の評価は時代に左右されるが、その価値は不変である。

有機合成法心得十二箇条

1.Energy Saving: エネルギー供給に媒体不要な光反応、マイクロ波、電気分解
2.Element Strategy: 元素戦略(豊富な元素資源の活用)
3.Atom Economy: 原子効率(E-ファクター(= 廃棄物量/目的生成物量)の低減、高収率、高選択性)
4.Catalysis: 高いTOF(触媒回転頻度)とTON(触媒回転数)
5.Chiral Economy: 不斉触媒
6.Pot Economy: 少ない精製工程数(同じ反応容器内で複数の化学変換を進行させる)
7.Redox Economy: 少ない酸化還元工程数
8.Step Economy: 短工程
9.Conditions Economy: 安全かつ温和な反応条件
10.Technique Economy: 安全かつ簡便な反応操作・後処理・分離精製
11.Time Economy: 短時間合成(生産効率)、マイクロフロー
12.Environmentally Benign: 毒性または危険性の高い物質を使わない。廃棄しない。

【教える環境】から【育てる環境】へ

【教と育の違い】
教育とは教える、育てると書く。では、この教えると育てるの違いを明確に説明出来るだろうか?
また、その説明が出来たとして、あなたは日常どちらを頻繁に使っているだろうか?

暮らしの中でこんな局面に出会ったことがあるはずだ。

『そんな話きいてません‼︎ちゃんと説明してくれないと分からないじゃないですか?』

なぜ、こんな問題が起きるのか?

それはあなたの環境が【育てる環境】ではなく【教える環境】になっているからである。

だから、教えなければ動かない。

また、指示を待っている環境にあるはずだ。

そして、こうも思っている。

自分で考えて動いてくれれば良いのに…

なぜこの様なことが起きるのでしょうか?

それは【教える】からである。

本当に出来る人間なら、分からないことは聞いて来る。

なぜなら、出来る人間とは【分からないことを分かっている】からである。

分からないことを分かっているから、分からないことを調べる。

それでも分からなかったら人に聞く。

そして、行動する。

行動するから結果が出る。

しかし、分からないことが分からない人間は何も考えない。

何も考えないから何も動かない。

だから、何も結果が出ない。

そして、自分で分からないことを分かろうと努力することなく『そんなこと聞いていない』と人のせいにする。

育てるとはひとつひとつ丁寧に答える事ではありません。

なぜ【分からない】かを伝える事だ。

研究道には教えはない。

研究道には教科書や正解があるわけではなく、研究室や研究者ごとに流儀があるだけである。

倫理、礼儀、礼節に関しても、必ずしも研究室でゼロから教えてくれるわけではない。

しかし、目の前で誰かがやっている。

分からなければ、それを見て学べば良いのだ。

それでも分からなければ、聞けば良いのだ。

その勇気を棚に上げて、人のせいにする人がいたら、自らが学ぶ事を伝えてあげれば良いのである。

これを【育てる】という。

 

*本文は『神道の心を伝える【教と育の違い】』から転用していますが、赤字部分は石原が研究道に合うように内容を改変しています。

【大学で学ぶ価値】

 あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。

 大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

上野千鶴子氏の「平成31年度東京大学学部入学式 祝辞」から)

【卒業生に贈る言葉】

 毎年、卒業していく学生に、【修】の一字を贈りることにしています。

研究室を卒業する皆さんは「修学」を終えたことになります。社会に出たら、研究者としては「修業」の段階に入ります。そして、研究リーダー(PI, Principal Investigator)となってからは「修養」です。「修」に終わりはありません。常に己と真摯に向きあい、高い志を胸に刻んで生きてください。挑戦することを諦めた人生ほど詰まらないものはありません。

以下、「感じて、漢字の世界」から引用。

 「修める」、「修了」、「必修」の「修」。「修」という字を、上半分と下の三本線に分けて紐解く。上の部分は「攸(ユウ)」と読み、人の背中に水をかけて清めようとする、みそぎの姿を示す。その下に書く斜めの三本線(彡)は髪飾りを表し、飾ること、整えることを意味する。そこから「修める」という漢字は「言動を整え正す」、「学問・技術や芸を身につける」という意味をもつようになった。

人が真摯に何かを修めようと覚悟して生きる姿は、冷たい水を浴びて心身を清めようとするみそぎの姿に通じる。

 山の雪が溶け出して野や里を潤す頃、いにしえの人々は農作業や狩りの準備を本格的に始める。春の光の中でまだ眠そうな子どもたちも、隣で見ているように声をかけられ、神妙な面持ちでそばに座る。鹿の角を石で削り尖らせる。稲の種を慎重に選び出す。糸に撚りをかけて強くする。魂をこめ、真剣な眼差しで働く大人たちの姿は、子どもたちを静かに圧倒していく。ひとつひとつの手作業が何のために行われ、どう役にたつのか、見ているだけではわからない。しかし、いつかその作業を自らの手で始めるときに、修めたことの意味が、彼らの胸に、すとん、と落ちてゆく。

 「修」は、水を人にかけてみそぎをする姿を表す文字と、飾ることを意味する文字を組み合わせ、心身を正して整え、学問・技術や芸を身につける、という意味をもつ漢字。

 学問を修めてきた「修学」の学生時代を終え、自ら生きてゆくための技や芸を身につける「修業」や精神を練磨し、人格を高める「修養」のときへ。

 わが身を修めることが出来れば、これ以上心強いことはない。余計なものなど何も持たず、満たされた気持ちで自由に歩いて行ける。それは幾つになっても修めることのできる人生の極意だ。

 

引用 「感じて、漢字の世界」https://www.facebook.com/kanjitekanji/posts/765984950172799

【道】

アントニオ猪木が引退式で詠んだ詩「道」

  この道をいけばどうなるものか 危ぶむなかれ

  危ぶめば道はなし

  踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる
  迷わず行けよ 行けばわかるさ
石川県白山市にある明達寺の住職だった清沢哲夫の著書「無常断章」に「道」と題された一篇の詩がある。
  この道を行けば どうなるものかと 危ぶむなかれ
  危ぶめば道はなし
  ふみ出せば その一足が道となる その一足が道である
  わからなくても歩いていけ 行けばわかるよ
 アントニオ猪木が引退式で詠んだ詩は、この清沢の「道」が元となっている。不思議と元気が出てくるような、背中を押してくれるような、そんな魅力溢れる力強い詩だ。
 猪木は「人は歩みを止めたときに、そして挑戦を諦めたときに年老いていく」とも言っている。
 なぜ博士後期課程に進学するのか。それはまだ先に道があるからだ。迷うことなかれ。そしてその先の道を己の足でゼロから切り拓いてこそ真の研究者と言えるのではないか。

 この名言は、博士後期課程進学を迷う多くの大学院生・大学生の心を揺さぶり、彼らの背中を押すに違いない。

【己の敵は己にあり】

武田信玄の名言「一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る」

 

 大谷翔平選手が高校時代に自分の部屋に貼っていたとされるのが、この名言。

 愚痴をこぼしたり言い訳をする前に、自分が本当に一生懸命に取り組んできたのかを振り返ろう。

【典座教訓】から【実験研究者教訓】へ

鎌倉時代、永平寺の開祖、道元禅師が著した食に関する本典座教訓(てんぞきょうくん)』。「典座とは、禅寺において「食」を司る重責を担う役職名。道元はその典座の行うべき職責について説き、典座教訓とした中江裕司監督、沢田研二主演、水上勉原作の映画、『土を喰らう十二ヶ月』の中で、典座教訓の一節を読み上げる沢田の声が研究者の心にも染みる。

 [No.17] 淘米調菜等。自手親見。精勤誠心而作。

  • 米(べい)を淘(と)ぎ菜を調(ととの)うる等は,自ら手ずから親しく見,精勤誠心(しょうごんじょうしん)にして作(な)せ。
  • 米を洗ったり野菜などを調えたりするとき、直接自分の手でやらねばならない。その材料を親しく見つめ、細かいところまで行き届いた心で扱わなければならない。

[No.18] 不可一念踈怠緩慢。一事管看。一事不管看。

  • 一念も踈怠緩慢(そたいかんまん)にして,一事をば管看(かんかん)し,一事をば管看せざるべからず。
  • 一瞬とて怠けてはいけない。一つは見ていたが一つは見逃していたということがあってはならない。

[No.45] 凡調辨物色。莫以凡眼觀。莫以凡情念。

  • 凡(およ)そ物色(もつしき)を調辨するに,凡眼(ぼんがん)を以て觀ること莫れ。凡情を以て念(おも)うこと莫れ。
  • すべてを調理し、支度するにあたって、凡人の眼で観てはならない。

[No.48] 切莫遂物而變心也。順人而改詞。是非道人也。

  • 切に物を遂うて心を變ずること莫れ。人に順(したが)いて詞(ことば)を改むるは,是れ道人に非ざるなり。
  • 物によって心を変え、人によって言葉を改めるのは、道人のあるもののすることではない。

 実験研究者教訓

  • ガラス機具を洗ったり試薬などを調製するとき、直接自分の手でやらねばならない。それらを親しく見つめ、細かいところまで行き届いた心で扱わなければならない。
  • 一瞬とて怠けてはいけない。一つは見ていたが一つは見逃していたということがあってはならない。
  • いかなる研究も実験とその結果について、先入観で観てはならないし、私情を挟んではならない。
  • 実験結果に惑わされたり、人の意見に惑わされるのは、真理を探究するもののすることではない。

Recruit

ポスドク及び大学院生を募集中です。

当研究室では学部生、大学院生の研究室見学を随時受け付けております。

希望者は、石原教授までメールでお問い合わせ下さい。

 

Postdoctoral and graduate students is being recruited.In our laboratory will be accepted at any time undergraduate, graduate student visits to laboratories.Those who wish, please contact us by e-mail to Professor Ishihara.

Access

ISHIHARA GROUP

国立大学法人 東海国立大学機構

名古屋大学

大学院工学研究科 有機・高分子化学専攻(工学部 化学生命工学科)
有機化学講座

触媒有機合成学研究グループ

〒464-8603 名古屋市千種区不老町

B2-3(611)

 

Laboratory of Catalysis in Organic Synthesis, Research Group of Molecular Chemistry, Graduate Department of Molecular and Macromolecular Chemistry, Graduate School of Engineering (Undergraduate Department of Chemistry and Biotechnology, School of Engineering), Nagoya University

Tokai National Higher Education and Research System

B2-3(611), Furo-cho, Chikusa, Nagoya 464-8603, Japan